日本生命
明治22年、鴻池家の社会的信用をバックに「日本生命保険会社」として創業しました。
日本では3番目の保険会社でしたが、当時使われていたイギリスの保険会社の「保険料表」を使いませんでした。
日本人の死亡資料などから新たに作成したものを採用したからです。
代理店整備に奔走し、経営基盤をしっかりと固めた日本生命は、創業3年にして、契約者への利益配当を実施することができました。
これは日本初のことだったようです。
第二次世界大戦後の昭和22年には、金融機関再建整備法に基づいて、「日本生命相互会社」として再出発をしました。
やがて高度経済成長期になり、東京・日比谷に日生劇場を完成させたのもこの頃のことです。
1988年には、総資産部門の世界ランキングでトップに立ちました。
これは、アメリカのブルデンシャル保険を抜いて・・・という快挙です。
新契約高、収入保険料、保有契約高に次いでの快挙は、四部門制覇の「四冠王」となり、名実ともに世界第1位となったわけです。
日本生命のイメージ戦略は、「ニッセイのおばちゃん」に始まったと言えるでしょう。
笑顔のおばちゃんが自転車で街を行く姿は、親しみ易く、明るいイメージで成功したと言えます。
また、そのことによって、子育てを終わった主婦層の「働きたい」「人の為になることをしたい」という思いに応えるようにして、保険外交員の確保に一役買いました。
その後、笑顔の「ともこさん」戦略は、外交員の年齢層を下げ、若いはつらつとした笑顔を振りまき、保険のおばちゃんやお姉さんは身近な存在、頼りになる人というイメージを植え付けることとなりました。
日本生命の現在のキャッチフレーズは、「ずっと支える。もっと役立つ。」というものです。
大阪に本店を、東京に本部を置く日本生命ですが、茨木市に新しいシステムセンターを設置する予定があります。
大阪にシステムセンターを設置し、東京にバックアップセンターを持っていましたが、茨木のシステムセンターには、本社が災害に見舞われた場合も想定したバックアップ機能も新設されるということです。
