第一生命

日本生命の社医として勤務していた矢野恒太が、明治35年、日本初の保険相互会社として創業したものです。

矢野は、日本生命に勤務することで保険業界を知りましたが3年程で退職し、自ら保険会社を設立することを決意していました。

退職後は、保険、統計、経済等の研究に追われる中、相互会社という形態を知ります。

会員組織で、剰余金のほとんどを保険契約者に還元するという相互主義の保険会社の存在です。

起業ブームで、次々の保険会社の設立が続く中、詐欺的なものや投機的なものなどもあって社会問題化されていた頃のことでした。

矢野は、相互主義の保険会社が理想的と判断し、設立にこぎつけます。経費節減のため代理店を置かず、営業地域は東京周辺に限定し、基盤を固めていきました。

やがて4年後には、契約者への利益配当を開始することができました。

翌年には、責任準備金の積立方式を健全な純保険料式に変更することもでき、いよいよ全国展開へと基盤を固めていったのです。

第二次世界大戦後は、新契約どころか戦争死亡保険金の支払いが増大し、インフレもあって保険業界事態が存亡の危機に陥りました。

しかも、焼け残った第一生命館は、連合国軍総指令本部(GHQ)に接収されてしまいます。

やがて、各社が相互会社へと転換していったため、第一生命の特徴は色褪せてしまうことになるが、高度経済成長期の営業職員の育成などに力を入れ、保有契約高を伸ばして行くことになります。

時は経ち、平成8年の「新保険業法」施行により規制緩和が進み、損害保険にも進出することができました。

しかし、家計引き締め等による契約の伸び率は激減していきます。

翌9年、「生涯設計」というコンセプトを打ち出します。“

万が一”“病気・ケガ”“3大成人病”“介護”“老後”という5大リスクに対する提案です。

「第一でナイト」というキャッチコピーで注目されました。

田中麗奈扮するナイトが石原さとみナイトに変わっても、CMとしての戦略は大成功だったと言えるようです。

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